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奈良地方裁判所 昭和54年(ワ)404号 判決

原告 今村幸彦 ほか一名

被告 国 ほか二名

代理人 細川俊彦 西谷忠雄 間井谷満男 松本有 ほか一名

主文

一  被告奈良市は、原告らに対しそれぞれ金八三二万八〇三七円ずつ及び各内金七五七万八〇三七円に対する昭和五四年六月二九日から支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告奈良市に対するその余の請求を棄却する。

三  原告らの被告国、同奈良県に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中原告らと被告奈良市との間に生じた部分はこれを一〇分し、その四を原告らの、その余を被告奈良市の各負担とし、原告らと被告国及び同奈良県との間に生じた部分はすべて原告らの負担とする。

五  この判決の主文第一項は仮に執行することができる。ただし被告奈良市において原告らに対しそれぞれ金四〇〇万円ずつの担保を提供するときはその原告については右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、各原告に対し金一五〇〇万円ずつ及びこれに対する昭和五四年六月二九日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言(被告奈良県、同国)

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告らの地位

原告らは、後記事故により死亡した亡今村起巳子(昭和三八年一〇月一五日生、以下「亡起巳子」という。)の父母であり、同人の死亡によつてその権利義務を相続により承継したものである。

2  本件事故の発生と現場付近の状況

(一) 亡起巳子は、昭和五四年六月二九日午前八時三〇分ころ、奈良市法蓮北二丁目一二六一番先用水路(以下「本件用水路」という。)に転落し、そのまま暗渠に吸い込まれて死亡した(以下「本件事故」という。)。

(二) 本件事故現場付近の状況は別紙図面のとおりである。すなわち、本件用水路は、上流の鴻ノ池から下流の佐保川に至る途上の用水路であるが、現場付近においては巾約二ないし三メートル、深さ約一ないし一・五メートルを有し、北から南に流れてきたのち、東西に走る県道(通称一乗通、以下「本件県道」という。)とほぼ直角に交わり、右地点からは暗渠となつて右県道下を西の方向に流れている。また本件用水路の西側にはこれに添つて南北の方向に巾約二・八メートルの市道(以下「本件市道」という。)が存し、本件県道とT字型に交わつている。

(三) 本件事故当時奈良育英高校一年に在学中であつた亡起巳子は、当日自宅からの登校途上、徒歩で本件市道を北から南へ通行し、本件事故現場付近にさしかかつたのであるが、右現場付近は前日来の集中豪雨のため本件用水路の濁流が本件市道・県道上まで溢れ出て右用水路と各道路との境目を識別することが不可能な状態となつており、このため亡起巳子は道路の比較的冠水の少ない筒所を選んで歩くうち、誤つて本件市道より本件用水路の別紙図面×地点付近に転落したものである。

3  被告らの責任原因

(一) 本件用水路は、河川法の適用又は準用を受けない普通河川(いわゆる「法定外公共物」)であつて、被告国がこれを所有し、被告奈良県(以下被告県という)の知事がその財産管理を行い、被告奈良市(以下被告市という)が地方自治法二条二項、同条三項二号に基づき直接その管理を行つている。

また、被告市、同県はそれぞれ本件市道・県道を設置管理している。

(二) 本件用水路の設置・管理上の瑕疵

〈1〉 本件用水路については、従来上流の鴻ノ池が降雨時における水量調整池としての機能を果していたが、近年被告市による同池の埋立が進んだことにより、右機能が低下する一方、上流一帯の宅地化に伴い、本件用水路への雨水の流入量は増加する傾向にあつた。このため、本件現場付近ではこれまでにも集中降雨の際、本件用水路からの流水が道路上に溢れる事態が生じていたが、本件用水路については拡幅等の改修がなされないまま放置されていた。

〈2〉 右のとおり、本件用水路からの流水により道路が冠水する事態を生じた場合、用水路と市道・県道との境目を識別することが困難となつて道路から用水路へ転落する危険は極めて大きなものとなるのに、本件用水路と本件市道・県道との間には転落防止のためのガードレールはおろか、その境目を明らかにする目印の類も一切設置されていなかつた。なお、被告市に対しては、本件事故以前から地元住民よりガードレールの設置等危険防止策を講ずるよう要望がなされていた。

〈3〉 また、本件用水路の暗渠となつている部分は、本件現場付近から一キロメートル以上の下流にまで続いており、集中降雨時にここに吸い込まれれば水泳に堪能な者であつても殆んどの場合死亡を免れないものであるにもかかわらず、右暗渠の入口には金網など人が転落した場合、ここに吸い込まれるのを防ぐための措置は何ら講じられていなかつた。

(三) 本件市道・県道の設置・管理上の瑕疵

本件市道・県道は、前記のとおり本件用水路に接し、集中降雨時には冠水のため右用水路との境目が識別できない事態を生じていたのであるから、当然通行人が用水路に転落することのないよう転落防止のためのガードレールを設置し、又は少くとも用水路部分との境目につき識別を可能とするような何らかの目印が設けられるべきであつたのにこれがなされないまま放置されていた設置・管理上の瑕疵があつた。ちなみに、本件事故後、被告県・市において本件市道・県道の交点に三角床板をもうけ、右各道路部分にガードレールを設置したことは同被告らの前記設置・管理上の瑕疵を裏づけるものである。

4  損害

(一) 慰藉料(原告ら各自につき七五〇万円)

突然に最愛の娘を失つた原告らの心痛は筆舌に尽し難く、他方被告らのわずかの管理行為によつて本件事故が未然に防ぎ得たことに照らせば、通常の交通事故等に比較して原告らの右心痛にはより大きなものがある。右を慰藉するには原告ら各自につき七五〇万円(合計一、五〇〇万円)をもつて相当とする。

(二) 亡起巳子の逸失利益分(原告ら各自六四三万〇、〇六二円)

生活費控除を二分の一として昭和五三年賃金センサスによる女子労働者の平均賃金に就労可能年数のホフマン係数を乗ずると一、二八六万〇、一二四円となり、原告らは右請求権を各二分の一宛相続により取得した。

算式(85,700×12+113,200)×(1-0.5)×22,530×1/2

(三) 葬儀費用(原告ら各自二〇万円)

葬儀費用として四〇万円を出費し、原告らが各二分の一を負担した。

(四) 弁護士費用(原告ら各自一〇〇万円)

原告らは訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任し、その報酬として各自一〇〇万円の支払を約した。

以上(一)ないし(四)の合計は原告各自につき一、五一三万〇、〇六二円となる。

よつて原告らは被告らに対し各自国家賠償法二条に基づき右各損害のうち金一、五〇〇万円づつ及びこれに対する不法行為後の日である昭和五四年六月二九日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告県・同国)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2のうち(一)、(二)の事実は認める。(三)の事実のうち亡起巳子が本件事故当時奈良育英高校一年に在学中であつたこと、本件事故が登校途中に起つたことは認め、その余は不知。

3 同3のうち(一)の事実は認める。(二)〈1〉のうち、本件用水路上流の鴻ノ池が調整池としての機能を果していること、近年被告市による同池の埋立が進み、また上流一帯で宅地化が進行したことは認め、右埋立と宅地化により鴻ノ池の調整池としての機能が低下し、本件用水路への雨水等流入量が増大したことは不知、その余は否認又は争う。同(二)〈2〉のうち本件用水路と市道・県道との間にガードレールやその他境目を明らかにする目印の類が全くなかつたことは認めその余は不知又は争う。同(二)〈3〉のうち、本件暗渠が県道下を一キロメートル以上下流まで続いており、満水時にここに吸いこまれれば殆どの場合死亡を免れないことは認め、その余は争う。同(三)のうち、県道と用水路との間にガードレールが存しなかつたことは認め、県道の設置・管理に瑕疵があつたとの主張は争う。

4 同4の事実のうち(一)及び(二)は争い、(三)及び(四)は不知。

(被告市)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2(一)、(二)の事実は概ね認める。同(三)の事実のうち亡起巳子が本件事故当時奈良育英高校在学中であり、本件事故が登校途上で起きたこと、同女が本件用水路に転落したことの各事実は認めるがその余は不知。

3 同3(一)のうち、本件用水路が河川法の適用ないし準用を受けないいわゆる法定外公共物であり、被告国がこれを所有していること、奈良県知事がその管理を行なつていること、被告市が事実上その維持管理を行なつていることは認める。また被告市、同県がそれぞれ本件市道・県道を設置・管理していることは認める。同(二)〈1〉のうち鴻ノ池が調整池の機能を果していること、被告市が同池の埋立を行なつたこと、本件用水路上流において宅地化が進行していることは認め、その余の事実は否認する。同(二)〈2〉のうち本件市道・県道と本件用水路との間にガードレール及び境目を示す目印がなかつたこと、地元住民から被告市に対しガードレール設置の要望があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。同(二)〈3〉の事実は不知。同(三)の事実のうち、本件事故後被告市が市道上に、被告県が県道上に各ガードレールを設置し、三角床板をもうけたことは認めるがその余の事実は否認し、主張については争う。

4 同4はすべて争う。

三  被告らの主張

(被告県・同国)

1 一般に、道路と河川が接している場合であつて歩行者ないし車両が道路から河川へ転落するおそれがある場合、右転落防止ための措置を講ずべき者は道路管理者であつて河川管理者ではない、とされている(ただし被告県・同国が河川管理者でもないことは後記2のとおり)。

本件における亡起巳子の転落は本件市道上からであり、その原因も市道部分と用水路との境目が識別できなかつたこと及び本件市道上に右転落防止措置が講ぜられていなかつたことによるものであるから、本件事故と直接の因果関係をもつものは本件市道の安全性の欠如であり、従つてその法的責任は専ら市道管理者としての被告市が負うべきものである。

2 仮に本件用水路の設置・管理の瑕疵が本件事故の原因をなしているものとしても、本件用水路の所有者である被告国及びその財産管理を行うにすぎない被告県の知事は、国家賠償法二条の設置・管理を行うものではなく、むしろ、地方自治法二条二項、三項二号に基づき、地方公共団体の固有事務として本件用水路の行政管理(行政財産の維持・改良・修繕など機能としての維持管理)を行うべき被告市が国家賠償法二条の管理者として、同法による責任を負うべき者である。

(ちなみに、同法同条の責任は、民法七一七条の責任と同質と考えられており、営造物につき占有者と所有者とが異なる場合、第一次的に責任を負うべきは占有者であり、所有者は営造物を所有していることに基づいて直ちに責任を負うものではないとされている。)

3 過失相殺

仮りに被告県・同国の責任が免れないとしても、被害者である亡起巳子にも重大な過失がある。すなわち同人は毎日現場付近を通学し、用水路の存在を知つていたのであるから、市道が冠水している事態においては本件事故の発生を予測し、これを回避するため、できるだけ西側を通行すべきところ、敢然と用水路に接近した重大な過失がある。右過失は損害額算定にあたり斟酌されるべきである。

(被告市)

1 本件用水路は、河川法の適用ないし準用を受けない法定外公共物であつて建設省所管の国有財産である。その管理権は国の機関である奈良県知事に委任され、被告市又はその市長は右管理につき何ら法令上の根拠をもつていない。すなわち法令の根拠により被告市又はその長に団体委任又は機関委任されていない現状では市又はその長が右管理を行なうことはできず、被告市には何らの責任はない。

2 本件事故前後の降雨量は六月二七日に一三一ミリメートル、同月二八日に一五ミリメートル、二九日に一〇二ミリメートルを記録し、事故直前の同日午前七時から八時までに最大雨量二〇ミリメートルを記録しているほか、同日、奈良気象台からは警報、大雨情報等が発表されるなど、事故当時は大変な豪雨であつた。本件事故はかかる予想を超えた豪雨により本件用水路の溢水という予見だにしなかつた事態がその原因をなしており、不可抗力によるものというべきである。

3 本件事故は、本件用水路からの溢水により、道路部分との識別が困難であつたことに起因しているが、右溢水は、以下のとおり専ら被告県の管理にかかる暗渠及びその下流の菰川の構造の欠陥に起因するものである。すなわち、本件用水路は上流の鴻ノ池から本件事故現場付近まで流れ、同所から暗渠となつて県道下を約一キロメートル西方に流れ、さらに下流の菰川へ通じているところ、鴻ノ池からの排水量、同池から暗渠に至る周辺土地から本件用水路への排水流入量及び暗渠入口部分の流入能力は、(満水時で一時間の降雨量五〇ミリメートルとした場合を前提とする。)それぞれ毎秒五・四〇九立方メートル、〇・五一七立方メートル及び六・四六一立方メートルと計算される。すなわち暗渠及びさらにその下流に毎秒六・四六一立方メートル以上の流水能力がある限り、本件事故現場付近で溢水する筈がない。しかるにこれが溢水したのであるから、暗渠中途部分及び更に下流の菰川の流水能力が前記数値を下まわつていたとしか考えられず、現実に暗渠中途部分で最も狭い部分では毎秒僅か二・一二九立方メートルの流水能力しか有しないことが判明した。また菰川の川巾も狭く、護岸設備も不十分で、そのため流入量が著しく制限されている。このように暗渠及び下流の排水能力が不十分であるにもかかわらずこれを改修せずに放置したことが本件事故の原因であり、右暗渠及び下流菰川の管理者である被告県は、本件事故につき賠償責任を免れない。

4 さらに、本件転落地点道路は県道であつて市道ではない。すなわち、別紙図面のとおり、県道北側にはこれに添つて巾約六〇センチメートルの農業用水路(側溝)が存在し、同所は県道と一体となつて被告県の管理するところである。従つて右側溝北側の線を延長した〈B〉〈C〉が市道と県道の境界であるところ、亡起巳子が転落したのは〈B〉〈ハ〉間であることは本件用水路内の転落地点から合理的に推測できるところである。そうすると転落防止措置をとるべきはまさに県道管理者としての被告県であり、被告市には右義務はないものというべきである。

5 被告県・同国の主張3を援用する。

四  右に対する認否、反論

(原告)

1 過失相殺の主張について

本件事故は「誤つて」用水路へ転落したものではなく道路と用水路の識別が不可能なことによる不可避的なものであつた。かかる事故において被害者に過失があるとすることはあまりにも酷である。

2 被告県・同国の主張2に対して

国家賠償法二条における設置・管理者は占有者(具体的管理を行うもの)のほか所有者をも含むものと解すべきであり、自己の責任を免れることを目的とした法定外公共物の理論はとるべきでない。

(被告県・同国)

1 被告市の主張3について

被告県・同国において本件暗渠及びその下流の菰川を管理している事実はないが、仮にこれを管理すべき責任があるとしても、本件溢水は専ら被告市の上流鴻ノ池の埋立その他の乱開発に起因するものであり、暗渠の設置上の瑕疵によるものではない。

2 同4について

被告市の主張する側溝部分は同被告の管理にかかるものであり、従つて県道部分と一体となるものではない。

第三証拠 <略>

理由

一  原告らが本件事故により死亡した亡起巳子(昭和三八年一〇月一五日生)の父母であること、亡起巳子は昭和五四年六月二九日午前八時ころ、本件用水路に転落し、そのまま暗渠に吸い込まれて死亡したこと、本件事故現場付近の状況は別紙図面のとおりであることすなわち本件用水路は上流の鴻ノ池から下流の佐保川に至る途上の用水路であり、現場付近においては巾二ないし三メートル、深さ一ないし一・五メートルを有し北から南に流れてきたのち本件県道と交わり、右地点からは暗渠となつて右県道下を西方に流れていること、本件用水路の西側にはこれに添つて巾約二・八メートルの本件市道が存し、本件県道とT字型に交わつていること、亡起巳子は事故当時奈良育英高校一年生に在学中であつたが、自宅からの登校途上現場にさしかかり、前記のとおり本件用水路に転落したものであること、本件用水路は、河川法の適用又は準用を受けない普通河川(いわゆる法定外公共物)であつて被告国がこれを所有し、被告県の知事がその管理を委任されているものであり、事実上被告市がこれを管理していること、また被告市は本件市道を、被告県は本件県道をそれぞれ管理しているものであるところ、本件事故当時転落地点付近には右いずれの道路上にも転落防止用のガードレール等が全く設置されていなかつたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故当時の現場の状況と亡起巳子の転落の状況について<証拠略>と弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  本件用水路は、上流の鴻ノ池からの排水並びに付近住宅地からの生活廃水及び雨水を排水するための下水路であつて、従前はその機能をほぼ十分に果していたが、近時鴻ノ池の約半分が埋立てられ(昭和三七年当時には、上、下二つの池が存在したが、現在では下流に存した池の全部及び上流に存する池の約三分の一が埋立てられている。)、また付近宅地化の進展に伴い、本件用水路への生活廃水及び雨水流入量が増大したことなどを原因として集中降雨時にはしばしば本件事故現場付近で排水が停滞し、本件市道及び県道上に溢水する事態が生じており、このため付近住民は、昭和五三年頃、被告市に対し、本件用水路への転落の危険性を指摘してガードレールの設置を要望したことがあつた。

2  事故前々日の昭和五四年六月二七日、奈良市内においては一〇〇ミリメートルを超える雨量が記録され、同日午後五時頃から六時頃にかけて事故現場付近では濁流が一時的に本件用水路から本件市道・県道上へ溢れ出る事態を生じていたが翌同月二八日には雨量が少なかつたため右事態は一応おさまつていた。しかしながら同日夜半から継続して再び多量の降雨があり、同月二九日午前七時から八時まで最大雨量二〇ミリメートルを記録し、このため同日七時半頃から再び本件事故現場付近で濁流が本件市道、県道上へ溢水していた。

3  同日午前八時過ぎ頃の本件現場付近は、本件用水路からの濁流が暗渠内にはけ切れず、暗渠入口上部から直接南側の本件県道上へ溢れ出し、更に県道南側歩道上をも覆い、また本件用水路西岸からも本件市道上へ直接流れ出ており、右濁流はこれら道路を一面に覆つてそのまま本件県道上を西方に流れていた。

4  同時刻頃は、通学時間帯にあたつており、本件用水路東側に居住する訴外狭川貞子は、本件用水路、市道及び県道が全く識別できない状況を見て学童が用水路内へ転落する事態を虞れ、即時自治会長宅へロープを張るよう申入れを行なつたが同人不在のためかなえられなかつたため、さらに小学校(育英高校の更に西側に存在する。)に電話連絡して学童の通学につき善処するよう申入れた。このため右小学校校長は直ちに自ら現場付近に出向き、別紙図面〈A〉点付近の歩道上に立つて東方から通学してくる生徒を出向え、冠水の比較的少ない同点以東の県道を南側歩道上まで渡らせたのち育英高校裏門を通つて小学校まで通うよう生徒を指導していた。

5  亡起巳子は当日平素どおり自宅を出て徒歩で本件市道を南下して現場付近にさしかかり、右市道及び県道の冠水状況にしばし狼狽し、市道西側にある別紙図面日光印刷株式会社ガレージ付近にしばらく佇んでいたが、午前八時一五分ころ、(冠水の少ない県道東側へ出たのち同所からさらに南側歩道上へ渡ろうとしたためか)右ガレージ付近から本件市道を東向に横切り、冠水のため用水路を識別できず別紙図面〈C〉点付近から本件用水路内×地点付近に転落し、そのまま濁流とともに暗渠内へ吸い込まれてしまつた。右転落を知つた前記小学校長が直ちに転落地点にかけ寄り、亡起巳子を助けようとしたが同女はすでに暗渠内に押し流され、その後転落地点から約五キロメートル下流の佐保川岸で遺体が発見された。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三  本件事故の原因について

右認定事実によれば、第一に本件用水路から多量の濁流が道路上に溢水し、道路部分と用水路の境を識別できない状態となつていたこと、第二に転落地点道路には、何らの転落防止措置が講ぜられていなかつたこと、第三に暗渠入口に暗渠内へ吸いこまれることを防止するための施設が存在しなかつたこと、第四に亡起巳子が本件用水路へ自ら接近したことがそれぞれ本件事故の原因であると認めることができ右認定に反する証拠はない。

四  本件用水路、暗渠及び転落地点道路の管理について

被告市は、暗渠部分を除く本件用水路を事実上管理していることを自認する一方、その管理の法的根拠及び責任の存在を争い、また暗渠部分は県道下に存在することから同部分は被告県の管理下にあることを主張し、更に本件転落地点道路は市道ではなく県道に該当する旨主張するので以下これらの点につき判断する。

前記一の当事者間に争いのない事実と<証拠略>によれば、以下の事実を認めることができる。

1  本件用水路は、鴻ノ池から本件事故現場まで地表を流れ、同所から前記のとおり暗渠となつて県道下を一キロメートル程西方に流れたのち、普通河川菰川に合流する同川の一支流であつて、上流から菰川までを含め、一体として付近住宅地からの生活廃水、雨水及び鴻ノ池からの排水を下流の佐保川まで流出させる都市下水道としての機能を果している。本件用水路、暗渠及び菰川は元来自然に生成したいわゆる自然公物であつたが、序々に右都市下水道としての機能を帯有するにつれて本件用水路(地表部分)の護岸工事がなされ、また県道下約一キロメートルに亘る暗渠工事がなされ、現在に至つている(なお、右暗渠工事は施行者が被告市であるか同県であるかは不明であるが前掲甲第一〇号証によると日米行政協定に基づき昭和二〇年代に施行されたものという)。その具体的管理内容は不明であるが、被告県は暗渠部分についても管理を行なつたことは一度もなく、同部分及び菰川につき被告市においてその管理を行なつた事実もない。(ただし、暗渠入口には従前被告市がスクリーンを設置したことがあつたが、いつ頃かに取り払われてしまつていた。)

2  本件県道北側には、別紙図面のとおり、日光印刷前から西側一帯に県道に添つて側溝が存在する。右側溝は、もと農業用水路であつて、農業従事者が必要に応じ樋をわたして本件用水路から灌漑用水を取水していたが、付近宅地化に伴つて現在ではその機能は全く失われ、かわつて付近宅地からの生活汚水、雨水及び本件県道の排水用下水路としての機能を果している。なお、右側溝は前記のとおり、日光印刷株式会社前から以西に延びており、東側の本件用水路には通じていない。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、本件暗渠部分は上流の本件用水路及び下流の菰川と一体となつて事実上都市下水道としての機能を果たしており、未だ下水道法上都市下水路としての指定はなされていないけれども、被告市が地方自治法二条三項二号又は下水道法に基づき、直接住民の日常衛生、福祉等に密接な関連を有する固有の行政事務の一環として事実上これを公共の排水路として管理・使用しているものというべきであつて、具体的管理行為を行なつていないこと、右管理責任が法令上規定されていないこと、暗渠がすべて県道下に構築されていることなどの事実があつたとしても被告市の右管理責任を否定することはできない。

また前記側溝についてもこれが現在有している機能に照らせば前記暗渠と同様住民生活に関わりをもつ衛生・福祉行政の一環として、被告市が公共の排水路として管理しているものと認められ(同側溝が県道の排水機能をも有している一事をもつて被告市の右管理責任を否定することはできない。)、右事実と右側溝が本件用水路まで通じてはいないこと、道路アスフアルト舗装が北から別紙図面〈ハ〉〈ニ〉線まで一体として行なわれた痕跡があることなどの事実を総合すれば、同図面〈B〉〈C〉線以南が県道に含まれるとの被告市の主張事実はこれを認めることはできず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。そうすると被告市は暗渠及び下流の菰川をも含め、一体として本件用水路を管理し、また亡起巳子の転落地点市道を管理しているものというべきであり、右各設置・管理上の瑕疵により本件事故が生じたときは、国家賠償法二条に基づきその損害を賠償する責を免れることはできないものというべきである。

なお、本件用水路(暗渠を含む)は、いわゆる法定外公共物であつて被告国がこれを所有し、被告県の知事が機関委任事務として右管理を委任されていることは当事者間に争いがないところ、国家賠償法上、公の営造物の管理者と右所有者が異なる場合の責任の負担については何らの規定がなく(ただし、営造物所有者が同法二条の営造物の設置者又は同法三条一項の費用負担者に該当し、これらの責任を負うことがあることは別個の問題である。)、このような場合同法四条により同法二条の責任と同質の責任を規定している民法七一七条の規定によるべきものと解される。ところで民法七一七条の規定によれば、土地の工作物の設置又は保存(管理と同義と解される。)に瑕疵があつて他人に損害を及ぼしたときは第一に占有者(管理者)が損害賠償の責に任じ、所有者は、占有者が損害発生防止に必要な注意を尽したときに初めて右賠償責任を負うものとされており右法文によれば、被告国は営造物の所有者であるとの一事から直ちに国家賠償法二条の責任を負うべきいわれはないと解される。

また、被告県の知事が委任されている本件用水路の管理の内容は、いわゆる財産管理に止まり、営造物の機能の維持管理は含まれていないものというべきであり、所有者が自ら行う財産管理としての域を出ないものであるから、知事も前記所有者と同様、国家賠償法二条の責任を負うものではないと解される。

また、本件県道上に転落防止措置が講ぜられていなかつたことも当事者間に争いがなく、右事実によれば同被告は本件事故につき道義的非難を受けても巳むを得ないかもしれないが、法的見地からする限り、本件事故との間に直接の因果関係を認められるのは本件用水路及び転落地点としての本件市道の設置、管理上の瑕疵の存否に限定されるものであつて、前記事実があるからといつて、被告県に対し、本件県道管理上の法的責任を問うことはできないものというべきである。

五  本件用水路及び本件市道の設置・管理上の瑕疵について

1  本件用水路の管理の瑕疵

本件用水路(これと一体となる暗渠及び下流菰川も含む、以下同じ。)は、前記のとおり、生活廃水や雨水の排除の用に供される事実上の都市下水路であつて被告市の管理にかかる公の営造物である。そうして国家賠償法二条一項にいう「公の営造物の設置、管理の瑕疵」とは営造物が通常有すべき性能、安全性を欠いていることをいうとされており、右瑕疵の存否は当該営造物の設置目的・機能及び当時の具体的社会環境にてらし、社会通念上一般的に要求される程度の性能、水準を備えているか否かによつて決せられるべきである。ところで都市下水路の本来の機能は、雨水及び生活廃水を排除し、もつて環境衛生を維持するとともにこれを完全に下流に流出させ、浸水、溢水を防止すべき点にあるから、これを管理するものとしては右機能を十分に果たしめるよう管理をなすべき義務があるところ、前記認定事実と前掲狭川証言及び前掲検丙各号証によれば、本件用水路は従前は右機能に欠けるところはなかつたが被告市により上流の鴻ノ池が埋立てられ、運動公園が作られてのち同池の貯水及び調水能力が低下したこと、近年付近宅地開発に伴つて本件用水路への生活廃水及び雨水流入量が増大したことなどを原因として、数年前ころから多量の降雨があると本件事故現場付近で暗渠内にはけ切れない排水が停滞、溢水することも時折あつたこと、本件事故当日も右のような溢水状態となつており、このため市道上にあふれ出た排水によつて市道と本件用水路の境目が識別できない状況であつたほか、後記転落防止措置がなかつたことと合まつて同水路内へ転落する高度の危険が認められたことしかるに被告市においては前記溢水の原因と推測される暗渠狭隘部分の改修、下流菰川の通水能力増強等何らの措置を講じなかつたことが認められる。そうすると本件用水路は事実上の都市下水路として通常備えるべき安全性、性能を欠如していたものというべきであり、この点で管理上の瑕疵があつたものと判断される。

なお、同被告は本件事故当時の降雨量が通常の予見の範囲を超えた大量のものであり、通常要求される管理責任の範囲を上回わるものであつて、本件溢水は不可抗力であつた旨主張するが、当日の最大雨量は一時間に二〇ミリメートル程度であり(六月二七日の総雨量も一〇〇ミリメートルを超えていたことが認められるが、翌二八日の雨量が少なかつたこともあつて、その折の雨量が本件溢水と関係があるとは認められない。)、そのような降雨は経験則上必ずしも稀なものではないと認められるから事故当時の右雨量をもつて未だ被告市の管理責任を上回わる不可抗力(天災)であつたものということはできない。

2  市道管理上の瑕疵

一般に、道路と用水路が接しており道路を通行する人車が用水路内へ転落する危険が認められる場合、道路管理者はその利用者が安全に通行しうるよう転落防止施設を設置すべき義務があると解されるところ、本件市道上に右設置がなされていなかつたことは当事者間に争いがない。そして前記認定事実、前掲狭川証言及び検証の結果によれば、本件用水路・本件市道と本件県道の交差状況は別紙図面のとおりであり、用水路と県道の交差する地点は西側県道と比べると側溝部分の有する巾だけ事実上利用しうる道路幅員が狭くなつているかの観を呈しており、このため県道・市道を西から東へ進行してくる人車は同図面〈C〉・〈ハ〉付近に転落する危険があるものと認められるほか現実に同所付近から人車が用水路内へ転落するなどの事故も生じていたこと、付近住民は、被告市に対し、昭和五三年ころ市道上にガードレール設置を要望し、これにより同被告も右転落の危険を容易に予測しえたにもかかわらず一部の住民の反対などのため上記のとおり放置して現在に至つていることさらに多量の降雨時には前記のとおり本件用水路からの溢水により市道部分と用水路部分の識別が不可能な状況となり、右転落の高度の危険が認められたのであるから、少くとも前記識別を可能にするための応急措置だけでも講ずべき管理上の義務が認められるのに、事故当日、右応急の措置も講ぜられていなかつたことの各事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。以上の事実からすれば、本件市道には本件用水路内へ転落する危険が認められたのにこれを防止するための措置がとられていなかつた点で道路管理上の瑕疵があつたものというべきである。なお前掲証拠によれば、ガードレール設置の要望に対しては、道路幅員が狭くなるとして前示のように一部の者から反対意見も出されていたこと、このため被告市としてもこれを無視して設置に踏み切れない事情があつたことを各認めることができるが、道路の狭隘化の問題は、工法の選択如何によりこれを防止しうるうえ、たとえ右狭隘化が免れないものであるとしても、設置を行なわないことによつて予測される前記転落の危険と比較すれば、免責事由として十分ではないというべきである。

以上のとおりであるから、本件事故は被告市の本件用水路及び本件市道の各管理上の瑕疵に起因するものであり、同被告は亡起巳子の死亡により生じた損害につき国家賠償法二条に基づく賠償責任を免れない。

六  亡起巳子の過失について

被告市は、本件事故については亡起巳子にも原因となる過失があつた旨主張するのでこの点につき判断する。前記認定事実、前記当事者間に争いのない事実と前掲原告本人尋問の結果によれば、亡起巳子は当時育英高校一年に在学中であつて入学以来約三か月間徒歩で通学していたこと、同人の通学経路は本件事故当日の経路即ち本件市道を南下してくるか又はこれより一、二本東側に存する道路を南下し、県道を経て西側に存する同高校正門に至るかのいずれかであつたこと、このため同人は本件用水路の存在とその形状を知つていたことが推測されること、しかるに事故当時、前記のとおり本件用水路からの溢水により市道部分が冠水し、境界部分を識別することが困難な状態であつたからこれに近付いてはならないのに敢えて本件市道上から用水路の所在方向へと進行し、(なお、右方向は、育英高校正門と反対方向にあたり、この点で亡起巳子の右行為は一見不可解な行為であるようにみえるけれども弁論の全趣旨によると右正門前付近は土地が低く冠水が最も著しかつたためと推測される。)別紙図面〈C〉地点付近から用水路内へ転落したことの各事実を認めることができる。そうすると、同人にも危険が予測されているのに市道上を敢えて東方に向けて進行した点で相当の過失があるものというべく、本件事故に対する右過失割合は、同人の年令、通学期間と本件用水路の所在形状認識の度合、事故現場付近の本件用水路の状況、市道部分における冠水の状況その他一切の事情を考慮して四割であると認めるのを相当とする。

七  損害

(一)  慰藉料………各六〇〇万円

いずれも被告市との間で成立に争いのない甲第一ないし第四号証は、原告両名本人尋問の結果によれば、亡起巳子は、健康で明るい性格の高校生であつて、家にあつては家事手伝い、妹の面倒をよくし、原告らの長女としてその期待を集め、また期待どおり成長して学業成績も優秀であつたことが認められる。原告らは最愛の娘を本件事故によつて失つたものであり、本件事故の態様、亡起巳子発見に至るまでの原告らの心痛には甚大なものがあると認められ、右を慰藉するには原告ら各自につき金六〇〇万円をもつて相当とする。

(二)  逸失利益………各六四三万〇、〇六二円

生活費控除を二分の一として、昭和五三年賃金センサスによる女子労働者(一八歳)の平均賃金に就労可能年数のホフマン係数を乗ずると一、二八六万〇、一二四円となり、原告ら各自はその二分の一を相続により承継したことが認められる。

(85,700×12+113,200)×1/2×22,530=12,860,124

12,860,124×1/2=6,430,062

(三)  葬儀費用………各二〇万円

亡起巳子の葬儀費用としては金四〇万円をもつて相当と認め、弁論の全趣旨によれば原告ら各自が各二〇万円を支出したことが認められる。

以上(一)ないし(三)の合計一二六三万〇〇六二円に前記過失割合を乗ずると(弁護士費用を除く)原告ら各自の損害は七五七万八〇三七円となる。

12,630,062×(1-0.4)=7,578,037(円未満切捨)

(四)  弁護士費用………各七五万円

原告らが訴訟代理人に対し本件訴訟の提起・遂行を委任したことは弁論の全趣旨により明らかであり、本件訴訟における右代理人らの訴訟活動、本件訴訟の難易、右認容額等を考慮すれば、本件弁護士費用としては原告各自につき金七五万円をもつて相当とする。

八  結語

以上のとおりであるから原告らの請求は、被告奈良市に対し各八三二万八〇三七円と内金七五七万八〇三七円に対する不法行為の日である昭和五四年六月二九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由がある(弁護士費用につき遅延損害金を付すことは右報酬の後払の規定の趣旨に反し相当でない)からこれを認容することとし、原告らの同被告に対するその余の請求及び被告県、同国に対する請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言およびその免脱宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 仲江利政 広岡保 三代川俊一郎)

別紙図面〈省略〉

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